Nさんよりいただいています。
「 橘先生のことですが、トラは死して皮を残し、橘先生は「大鏡」 を残した」ことを私の専門外の領域ですが強く印象に残った事項 がありましたので、付け加えます。 この年になり、昔は苦手であった歴史(社会科学的相互作用の系譜 としての)に特段の理由がなくのめり込んでいることは以前に 述べた通りなのですが(実は、計算機との付き合いが半分商売に なったので、普段変であると感じていたことに計算機や情報関連 の用語に著しい「カタカナ用語」が氾濫していることを「批判」 する目的で、日本語の歴史を辿っていたことがあり、歴史に 近づく契機となりました)。よって、「特段」というのは、ウソ になります。 明治以降の日本語の変遷の様子は大体のところ文献等があり現在でも 時枝誠記から大野晋までの系譜を辿れば大体のところは判りますが、 江戸時代までの様子については、詳しい状況が明確に納得できる 説明が殆どありません。 「橘の大鏡」と出会うのが、こうした日本語の系譜を素人判断で 調べていた最中でした。足立巻一の「やちまた」という本を父の 家で見つけました。本居宣長から本居春庭あたりの日本の国学に 関する小説(というより足立氏が日本語の系譜を調べ上げる際の 資料にまつわる史実の想像を記した本というのが適当かと思います) です。これにより、江戸期の日本語の様子が私なりに整理できたのですが、 その作業の過程で、出てくるわ出てくるわ「橘大鏡」の引用文献に 驚きました。 科学論文では、Citation Indexというのが1つの論文を評価する 1つの基準になっているのですが、それを、国文学の領域に当てはめる と、「橘先生の大鏡研究」は相当なCitation Indexになるものと 信じます。 同僚で現在新潟に移った友人に聴きますと、国文学で「橘大鏡」を 詳細にみたことのない人は資格がないと言い切っています。 このことを、伝えたくて追記しました。
中略。
H先輩には、その後、水泳部や北大で進まれた「衛生工学」の 話をしてもらい、私も強く、影響を受けました。落ちましたが、 北大を受験したのは治国先輩の「衛生工学」に強く魅かれたから でした。衛生工学というのは、今で言う、「環境科学」の走りで 確か、北大にしかなかったと記憶しています。 北大の衛生工学は、土木工学から分岐した分野ですが、都市工学 への指向が強かったのかと想像します。都市工学では、羽仁五郎 の都市の論理を思い出します。東大の都市工学も70年安保では 随分活躍しましたね。
中学校、高等学校でも治国先輩や太二先輩とのつきあいはありました が、H先輩が「冒険家・挑戦家」であるのに対し、T先輩は 「堅実型」であったと思い出しています。 それから、橘のおばさんから聞いた話で、T先輩の堅実さを表す 話がありました。 「一橋のTに仕送りをすると直ぐに連絡があるのだけれど、この間、Tから電話があり、連絡は電話の呼び出しを短く何度かするので、電話を直ぐに取らないでと言われた。 『なんで』と尋ねると、『元気であることを知らせるには 何らかの応答があれば判断できるのだから、直接電話で話をしないでも、決まった手続きで応答をすればよい』 と答えるのよ。あの子は堅実派だからね。」 とおっしゃっていました。
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小学館 出版局 古典編集部
太田隆二様からのお便り (2001)
橘健二
●大鏡(日本古典文学全集 第20巻)
●小学館日本古典文学全集34巻大鏡
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