高臣亮祥(母亮子の兄)伯父は三重県楠長の町長を四期半ばにして病に倒れる。作家阿川弘之氏と親交があり、
彼の長編小説「黒い波涛」に描写された人物でもある。スケールが大きい伯父として記憶に残っている。豪快に
バイクにんって田んぼにつっこんで重症を負った話など、母がハラハラしていた。

伯父、母そして伯母ともっと長生きして欲しかった母方の人たちはあっけなくこの世を去ってしまった。母方の祖母
「豊」のことについて、従兄弟で亮祥伯父の長男文祥によれば、

「昭和7年6月16日に35才で亡くなりました。亮祥が13才の時でした。亮子、岳子を残して。小学校の先生として
大変生徒に慕われていたようで、現在80才以上の昔の教え子たちが死後70年を経た今日でも昔話として私に語
ってくれるので、見も知らぬ私にも祖母の在りし日の姿を想いうかべることができます。岳子叔母の最初の夫は四日
市の光源寺の長男でした。嫁いですぐに夫が病気で、看病のために嫁いだみたいだとよく言っていました。」


夫が亡くなって後、楠の実家に帰ったあと長深へ再婚し玲子を産んだわけです。岳子おばの二番目の夫は新潟大学
人文学部で、将来を大変期待された秀才の歴史学者でした。残念ながらこの夫も肺病ですぐになくなりました。
私(=婦美子)は大学入学した年にそのおじと仲良くした同僚のドイツ語の教授からいろいろなお話を伺ったものです。
新婚同士で新潟の浜によく海水浴をしに行ったことなど。
なくなった人のことを懐かしく伺うのは、本当に不思議なこと
でした。よく国文学者の父は懐かしがっていました。

 

 

  中日春秋

 

 

戦時、一般大学から入隊した海軍予備学生。阿川弘之氏の長編小説…

                     
 戦時、一般大学から入隊した海軍予備学生。阿川弘之氏の長編小説『暗い波濤(はとう)』は、本職でない彼ら青年士官の戦争を克明に描く▼多くの学徒士官が登場する中で印象深い一人が翁(おきな)亮海だ。寺の息子で、在学中に「学業は二義的なもの」という配属将校と大げんかをした反骨の学徒。艦爆隊の指揮官を任されるが、特攻にも「一切衆生を道連れにしていいとは、仏法の教えにありません」とたてついた▼そんな彼が考え込む場面がある。年取った家族持ちの特務士官の中に、マントの下に缶詰などを隠して持ち帰る者がいたことだ。許されない行為とはいえ、翁は半分感心して「国を守るとは一体どういうことか」と思う。「男が守るべき対象は、まず愛する女と子供、親きょうだいではないか」…▼戦争の実相を知り、戦いと死の意味を考え続けたからこそ、感じえた思いかもしれない。翁中尉は、のちに三重県楠町の町長を務めた高臣(たかとみ)亮祥氏がモデルである。小説だから創作もあろうが、予備学生仲間の阿川氏の取材に一晩語り続け、小説を読んで「この通りだ。阿川は大したものだ」と語っていたという▼家族の話だと、高臣氏は、戦後は余分な人生とばかりに仕事に没頭した。町長四期目の半ばに五十八歳で亡くなっている。教員の経験もあって、町長時代は教育行政にとりわけ力を入れた。それが、戦後の高臣氏にとっての「国を守る」こと、だったようにも思える▼戦争を考える夏。愛国心をめぐる議論も高まる中、真摯(しんし)に戦いを見つめた人たちの思いを、あらためてたどりたい。

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