やすらかに This page is dedicated to my brother Taiji Tachibana

TaijiTachibana
橘太二
Januray 12th, 2001



I wrote this poem "Lead Me to Heirinji" when Ryoko Tachibana passed away in July, Showa55. I would like to dedicate this poem to my
beloved brother Taiji Tachibana who was so caring about those who were around him.
This poem (appeared in Midwest Poetry Review 1985) was
put into
music by Prof. Burton V. Foreman, who is an opera composer. It were then included in "Rebirth, PRC-T #41" at the first meeting in the Heisei Era,
the poetry book
Dedicated To Her Majesty The Empress Michiko To Commemorate The Passing of the SHOWA Era and the Dawning of Heisei,
from the Members of the Poetry Reading Circle of Tokyo, March 18, 1989."




フォーマン先生がすばらしいオペラの曲にされました。
ヨーロッパで(オーケストラとソプラノ歌手)録音されています。



 

 

  当時、東京の詩の会にて「美智子様」(でいらしたころ)には二度お目にかかりました。二度目にお会いしたときには私の名前と顔所属まで覚えていてくださり大変感激しました。
おやさしさに触れるたびに心が清まるのでした。当時長瀬清子の詩を翻訳していらっしゃいました。 「お母さん美智子さまにお会いして家に帰ってくる姿が違う」と子供に言われ。

 








白子のおじいちゃんおばあちゃんのうちで


「ゆきちゃあん、ちょっとまってね。」
太二



 
「えらかったねえ〜!ゆきちゃん」
太二

 



「えみちゃん、おんなのこはうまにばっかり
のっていたらあかんよ。!」

-太二


たいじおじちゃん、愛をありがとう!

 



「たいちゃん、たいおいちゃん、たいじさん、たいじおじさん」

「とてもやさしかったおいちゃん」

「おじちゃん、なくなってさみしい」

in Peace and Love

たいちゃん、たくさんの愛をありがとう!

一番世話になった妹 より

 


奈良
若草山の麓で。.
亮子、太二、婦美子、治国
↑父との思い出

天の原
ふりさけみれば
春日なる
三笠の山に
いでし月かも



↑一番右側の白い屋根の家。母が早くになくなり、時々たいちゃんや玲子ちゃんが
住んでいたことも。父が亡くなるまではよく家の管理を東京からかけつけ
やってくれていた。無人化してしまったけれどなつかしい思い出で胸がいっぱいに
なる。父、岐阜女子大勤務、東京国立、三重、岐阜をいったりきたり。この
家に野田一家が住むことになっていたのだが、あれから激動が訪れ... 




マンクスは2003年あたりに解散しました。失敗は成功のもと。今はロスで仕事をしています。

私自身も日本を離れ行方不明者にされているかもしれません。この六月はクラス会に参加できました。
最近は学生との引率で日本へ毎年戻っていますのでよろしくお願いします。時間や気持ちのゆとりも
できましたので旅行や趣味に生きたいと願いつつ。

fumikotachibana